回避型シリーズ最終回。「他人」ではなく「自分自身」と向き合うということ
前回は回避型の人とカバートナルシストの見極め方についてご紹介しました。今回はいよいよ今シリーズの最終回になります。最後にお話しするのは、古代ギリシャや古代ローマの哲学者たちが提唱したストア哲学と、スイスの精神科医・心理学者であるカール・グスタフ・ユングが提唱した分析心理学(ユング心理学)を元に、自分とどう向き合っていくべきなのかについてお話させていただきます。ストア哲学とは紀元前3世紀に古代ギリシャで始められました。そこから2300年以上経った今でも決して色あせることなく、今の我々にたくさんの学びを与えてくれます。また、ユングは世界三大心理学者の一人として、現在の心理学にとても大きな影響を与えた人物です。それでは早速お話していきましょう。
人は生まれてからずっと、もっと頑張らなければならないと教えられて育ちます。もっと強くなりなさい。もっと成功しなさい。もっと愛されなさい。もっと認められなさい。その「もっと」という言葉は気付かないうちに、あなたの魂を外側へ外側へと引きずり続けてきました。しかし、もしその全てがただの幻だったとしたらいかがでしょうか?人生を変える本当の鍵が何かを手に入れることではなく、何かを見抜くことだったとしたらいかがでしょうか?ユング「人は外側を見ている間は夢を見ているけれど、内側を見たものだけが目を覚ますのだ」と言いました。この言葉はただの哲学ではありません。それは人生という迷宮から抜け出すための一枚の地図なのです。多くの人は自分の人生を苦しめている原因は他人だと思っています。分かってくれない家族、裏切った恋人、支配しようとする相手、自分を利用してきた誰か。確かに、それらは本物の痛みを与えますが、その痛みが何年も、時には何十年もその人の心を縛り続ける理由にはなりません。それは、あなたの無意識がその傷をどうしても手放せずにいるからです。ユング心理学では意識とは氷山の一角に過ぎないと考えました。私たちは自分の意思で選んでいるつもりでいて、実際はその人生のほとんどは、目に見えない深いところで無意識によって静かに選ばれていると。なぜいつも同じような関係を繰り返してしまうのか。なぜ去っていく人ばかりを引き寄せてしまうのか。なぜ手に入れても満たされないのか。その答えは外側にはありません。あなた自身もまだ知らない心の一番深い場所に眠っているのです。今あなたはどこでこの声を聞いているでしょうか?
眠る前の部屋か帰り道の電車の中か、きっと同じ夜に同じ問いと静かに向き合っている人がどこかにいます。その深い場所にはシャドウ(影)が眠っています。多くの人はシャドウを悪いものだと思い込んでいます。しかし、それは悪ではありません。それは見たくなかった自分、捨ててきた感情、幼い頃に否定された個性、誰かに愛されるためにそっと封印した本当の姿、その全てがシャドウなのです。よって、人は自分のシャドウを見ることを恐れます。優しい人ほど怒りを隠す。強い人ほど涙を隠す。よく笑う人ほど孤独を隠す。そして皮肉なことに隠したものほどあなたの人生を裏から支配し始めます。あなたは本気で怒ったことがあるでしょうか?誰にも遠慮せずただ自分の魂を守るためだけに怒ったことがないのなら、その怒りは消えたわけではありません。心の地下室に閉じ込められただけなのです。そして閉じ込められた怒りは、ある日理由のない不安として姿を現します。理由もなく他人の顔色ばかり気になり、嫌われるのが怖い、何をしても満たされないと感じる。それらはあなたの性格ではありません。抑え込まれた魂の静かな叫びなのです。
現代の社会は、従順な人が褒められる風潮があります。空気を読む人、我慢できる人、自分を犠牲にできる人などがそうです。しかし、ユングが目指した個性化とはその正反対の道でした。それは他人に合わせることではなく、本来の自分に回帰していくことです。その道は決して楽ではありません。なぜなら、本当の自分になろうとした瞬間、人は必ず一度孤独になるからです。心地よかった関係が静かに壊れていき、あなたに期待していた人が離れていく。そして、あなたは変わったねと相手から言われる。しかし、そのほとんどはいずれ失うべきだった幻だったのです。それは、あなたが変わってしまったのではなく、ようやくあなたが被っていた仮面を外し始めただけなのです。
古代ローマのストア派哲学者エピクテトスは「人を苦しめるのは出来事ではない。その出来事についての解釈である」と語りました。同じことが起きても立ち止まる人と成長する人がいますが、その違いはその人の能力の差によるものではありません。それは、自分の無意識の領域との関係の中にあるのです。例えば、幼い頃から良い子でいることを求められた人は、大人になっても誰かを失望させることを恐れ続けます。頼まれると断れない、無理をしてでも笑って見せる、傷ついていても優しく振る舞います。しかし、その優しさは本当の優しさではなく恐れなのです。恐れから生まれた優しさは、少しずつ自分をすり減らしていきます。そして、不思議なことにそういう人ほど他人から利用されやすいのです。なぜなら、他者を利用・支配しようとする人は、本能的に自己を持たない人を見抜くからです。よって、彼らも最初からあなたを狙っていたわけではなく、あなたの無意識の心の裏側を見抜いただけなのです。この人は自分より相手を優先し、嫌われるのを恐れていると。しかし、本当の問題は相手ではなく、それを許してしまう心の構造の方なのです。
ユングはこう言いました。「人は自分の無意識に気付くまでそれを運命と呼び、何度も何度も繰り返す」と。同じような結末になる恋、何度も味わう裏切り、何度も経験する絶望。しかし、それは呪いではありません。それは、まだ学び終えていない魂の課題なのです。だから人生は、同じ試験を何度でもあなたの前に提示してきます。場所を変えても相手を変えても、あなたが自分自身を見つめなおすその日まで人生は同じ物語を書き続けます。その繰り返しは罰ではなく、あなたに理解されるまで終わらない一通の手紙なのです。ここで多くの人は勘違いをします。もっと前向きになれば、もっと努力すれば、もっと成功すれば幸せになれると。しかし、ユングはその逆を見つめていました。光だけを求める人ほど闇にのみ込まれていく。本当の変化は光を増やすことから始まるのではなく、闇から逃げるのをやめた時に始まるのです。あなたの中にある嫉妬、怒り、執着、恐れ。それらを敵として追い払うのではなく、なぜあなたはそれを感じるのかと静かに問いかけてみる。その瞬間からシャドウは敵ではなく、あなたを導く一人の教師へと変わっていきます。そして、人生は静かに別の景色を見せ始めます。
多くの人は自分を変えるために新しい知識を探し続けます。本を読み動画を見て成功した人の言葉を集めますが、知識は魂の扉を開ける鍵とは限りません。本当に人生を変えるのは知識ではなく自分自身を直視することです。ずっと避け続けてきた自分の感情とまっすぐ向き合う必要があるのです。ある人は幼い頃から手のかからない子といわれて育ちました。何かを欲しがればわがままだと言われ、弱音を吐けばそんなことでどうするのと笑われ、褒められるのはいつも我慢した時だけでした。よって、その人は幼い心でこう学んでしまったのです。愛されるためには自分の感情を隠さなければならないと。やがて大人になったその人は誰から見ても立派に成長しました。仕事は真面目で、人には親切で約束は必ず守る。もちろん、頼まれごとは断りません。誰もがあんな風になりたいと話していましたが、夜になるとなぜかその人の胸の奥に言葉にならない空洞が広がっていく感覚が残ります。何かが足りない、何を手に入れても満たされない、誰かと一緒にいてもなぜか孤独だったその人はその理由を知りませんでした。なぜなら、自分がずっと偽りの自分を演じ続けていることに気付いていなかったからです。
ユングは人間にはペルソナが必要だと語りました。ペルソナとは社会の中で生きていくための仮面のことです。職場では責任ある人、家庭では優しい親、友人の前では明るい人、恋人の前では理解ある人。そのどれも間違いではありません。問題が起きるのは、その仮面を本当の自分だと思い始めた時です。仮面はその人を守ってくれますが、あまりに長くつけすぎると魂は息ができなくなります。あなたにも思い当たることがあるかもしれません。笑いたくないのに笑う、許したくないのに許す、疲れているのに大丈夫と答える、助けて欲しいのに平気と言ってしまう。その一つひとつが小さな嘘となって無意識の深い部分に積み重なっていきます。
人は他人に嘘をつく前にまず自分自身に嘘をつくのです。そして、その嘘が積もるほど本当の自分の人生から静かに遠ざかっていきます。そして、人生のある時期に不思議なことが起こり始めます。それは、理由もなく涙が溢れたり、急に何もしたくなくなったりします。また、好きだったものが色あせてしまい、信じてきた価値観がある日音を立たて崩れていきます。多くの人はそれを失敗だと思います。しかし、ユングはそれを魂からの招待状と呼ぶでしょう。古い自分が終わろうとしているからこそ苦しいのです。外から見ればそれは崩壊にしか見えませんが、崩壊とは終わりではなく生まれ変わりの始まりであると。人間の心も全くそれと同じなのです。あなたが積み上げてきた理想の自分が崩れる時、本当の自分がようやく静かに顔を出し始めます。しかし、その瞬間多くの人は怖くなります。以前のようには笑えない、以前のように相手に合わせられない、以前のようには我慢できないなどです。昔のあなたの方が優しかったと、相手にそう言われることもあるでしょうが、その言葉の意味を静かに見つめてみてください。あれは本当に優しさだったのでしょうか?それともただ反論しなかっただけなのでしょうか?本当に思いやりがあったのでしょうか?それともただ自分を犠牲にしていただけなのでしょうか?本当の優しさは自分を失いません。本当の愛は境界線を壊しません。境界線とは壁ではなく、魂の輪郭なのです。それが曖昧な人ほど、他人の感情を自分の責任だと思い込んでしまいます。相手が怒れば謝り、相手が失敗すれば助けようとし、相手が期待すれば応えようとする。そうしているうちに、人生はいつの間にか自分のためではなく他人の期待を満たすためだけのものになっていきます。
ここでストア派の皇帝マルクス・アウレリウスは静かにこう語りかけます。「他人の心の中で何が起きているか気付かないからといって、人が不幸になることは滅多にない。しかし、自分自身の心の動きを見守らない者は必ず不幸になる」と。この一文はこれまでの問いを顕著にあぶり出してくれます。なぜなら、多くの人は自分の人生ではなく他人の評価の中で暮らしているからです。嫌われたくない、認められたい、必要とされたい。その願いが強くなるほど、あなたの心は他人という牢獄に閉じ込められていきます。ユングが目指した個性化とは、その牢獄から静かに歩き出す旅でした。誰かに勝つためではありません。誰かを見返すためのものでもありません。ただ自分自身になるためだけの旅なのです。
その旅では不思議なことが起こります。敵だと思っていた人が実は自分を導いてくれる教師だったと気付く。裏切った人が自分の依存心を映す鏡だったと知る。憎んだ相手の中に自分が否定してきたものを見つける。これをユングは投影と呼びました。人は他人を見ているようで実は自分自身を見ているのです。傲慢な人を見ると激しく腹が立つけれど、その怒りの奥には押し込めてきた自己主張が眠っていることがある。自由な人を見ると嫉妬するが、それは自分も本当は自由になりたいからかもしれません。冷たく断る人が嫌いになるけれど、それは自分にはまだその勇気がないからかもしれない。世界は鏡です。そして一番見たくないものほど一番強く映し出されます。だからこそ、あなたが何度も出会う人も繰り返される出来事も、心を激しく揺さぶる感情もその全てが無意識から届く一通の手紙なのです。
しかし、その問いに正面から向き合おうとした瞬間多くの人は恐怖を感じます。それは、もし本当の自分らしく振る舞ってしまったら、もう誰も自分を愛してくれなくなるのではないかという恐怖です。この恐れほど人を深く縛るものはありません。人は幼い頃から生きていくために周りに合わせます。親の期待を読み、大人の顔色を伺い、仲間外れにされないように振る舞います。その力は成長に必要なものでしたが、大人になっても続けてしまうといつしか自己犠牲へと姿を変えてしまいます。本音より空気を優先し、自分の価値より他人の評価を優先する。その時人生は、自分の物語ではなく他人が書いた脚本になってしまうのです。ユングは人生の前半は社会に適用するための時間であり、後半は本当の自分へ変わっていく旅だと考えました。しかし、多くの人はその旅を始めません。なぜなら、仮面を外した先に何があるのか分からないからです。長年演じ続けた役をおりることは、暗闇に一歩を踏み出すような感覚を伴います。しかし、不思議なことにその暗闇こそが新しい視点を育てるのです。夜空が暗いからこそ星が見えるように、心もまた静けさの中でしか本当の姿を映しません。だからこそ、人生には時に壊れる瞬間が必要なのです。信じていた関係が終わったり、仕事を失ったり、 計画が崩れたりする。それらは確かに苦しいけれど、魂はしばしば崩壊という形でしか人を新しい方向へ導けないのです。
それは自然を見れば分かります。種は殻が割れなければ芽を出せません。森は時に火によって、古い命から新しい命を育てます。冬は木から葉を奪うけれど、木は自分を失ったとは思いません。それは、春が来ることを知っているからです。人間だけが自分の冬を永遠だと思い込んでしまうのです。古代ローマの哲学者セネカはこう語りました。「困難とは自分自身の力を知るための機会である」と。この言葉は慰めではなく真実です。全てが思い通りの時、人は自分自身を知ろうとしません。何かを失って初めて人はようやく気付くのです。何がなくても生きられるのか。そして、何だけは失ってはいけないのか。ある人は一生をかけて成功を追い続けました。そして、成功を手に入れ誰もが羨む人生を築きましたが、その役目を終えた日、突然自分が誰なのか分からなくなりました。ある人は何十年も家族のためだけに生きましたが、その役割を終え静かな部屋に1人になった時、その沈黙に耐えられませんでした。その2人に共通していたことは、人生を失ったわけではなく、自分の人生を他人のための役割で埋め尽くしてしまったことなのです。では全てを失った時、最後に残るものは何でしょうか?
それは外側にはありません。肩書きでも財産でも、若さでも他人からの賞賛でもありません。最後に残るのは自分自身との関係だけなのです。今あなたは自分を信頼しているでしょうか?静かな部屋で1人になった時、今の自分が好きだと言えるでしょうか?もし答えに迷いがあってもそれを責める必要はありません。それはこれまでずっと、外側ばかりを見て生きてきたという静かな証なのです。現代の社会は他者との比較の中で動いています。それは、誰が成功したか、誰が美しいか、誰が愛されているかなどです。スマホの画面を開けば他人の人生が絶え間なく流れ込んできます。すると、無意識の何かがそっとあなたにささやきます。もっと頑張らなければ自分には価値がない、もっと成果を出さなければ認められないと。しかし、その声はあなた自身のものではありません。社会の不安があなたの内側で話しているだけなのです。
ユングは集合的無意識という概念を示しました。人は個人として生きているようでいて、時代や文化、そして先祖から受け継いだ膨大な心のパターンの影響を受けていると。よって、時に自分の恐れだと思っていたものが、実は母から受け継いだ恐れであることや、その母親が我慢して生きたから自分も我慢するといった決断につながること。父が感情を押し殺した人だから自分も泣けなくなるなどです。何代も受け継がれてきた沈黙が1人の人生を静かに縛り続けますが、その鎖は永遠ではありません。誰か1人がそこに意識を向けた瞬間からそれは終わり始めのです。あなたが初めてもう終わりにしようと決めるその瞬間に、過去から続いてきた無数の鎖が音もなく緩み始めるのです。それは反逆でも復讐でもありません。魂が本来の姿へ戻ろうとするごく自然な流れなのです。
ユングは、人間は人生を通して自己という中心へ近づいていく存在だと考えました。自己とは社会が評価する人格ではなく、他人が期待する役割でもありません。それは意識と無意識、光と影、強さと弱さ、その全てを抱きしめた一つの完全な存在です。しかし、人は長い間人生を自分の半分だけで生きようとします。強い人は弱さを否定し、優しい人は怒りを否定し、理性的な人は感情を恐れます。その分裂こそが、心の疲れを生み出しているのです。あなたの中にはまだ出会ったことのない自分がいます。それは、誰にも見せていない勇気、誰にも許していない涙、誰にも語っていない夢などです。それらは消えたのではなく、無意識という静かな部屋でずっとあなたを待ち続けています。夢の中に見知らぬ人が現れたり、暗い森をさまよったりするのも魂があなた自身に語りかけているからです。
魂は言葉で語るのではなく、沈黙で語り、直感で語ります。よって、人生で最も大切な瞬間は大抵とても静かに訪れます。ある朝ふともう十分だと感じたり、ある夜誰かを責める声よりも自分を守りたい気持ちがほんの少しだけ強くなったりします。長い間怒りを否定してきた人は、その怒りが消えないまま体の不調や説明のできない虚しさとなって現れることがあります。心は無視された感情を決して忘れないのです。だからこそ、癒しとは嫌な感情を消すことではありません。その感情がそこにあってもいいと静かに認めることなのです。悲しみには悲しみの役割があり、怒りには怒りの使命があり、恐れには恐れが伝えたいことがあります。感情はあなたの敵ではなく、あなたの仲間からの贈り物なのです。そしてあなたの心の中には、今も傷ついたまま時間が止まってしまった幼い子どもの部分が生きています。大人になるとはその子どもの部分を忘れることではありません。その子どもの手を取って、一緒に未来へ歩いていくことなのです。だから自分を責める声が聞こえたら一度だけ立ち止まってみてください。その声は本当にあなた自身のものでしょうか?それとも、昔誰かに言われた言葉が今も心の中で繰り返されているだけなのでしょうか?無意識は過去を現在へと縛り付けますが、意識はその鎖を静かに断ち切ることができます。その瞬間から人は、過去の被害者ではなく自分の人生の創造者へと生まれ変わり始めるのです。
ここで多くの人が誤解していることがあります。自己実現とは完璧になることではありません。傷をなくすことでも、常に前向きでいることでもありません。ユングが目指した個性化とは、自分の中の矛盾を受け入れる勇気を持つことでした。強くありながら涙を流せる自分。優しくありながら境界線を引ける自分。嫉妬しながら執着しない自分。しっかり自立しながら人と深く繋がることができる自分。そういう人だけが本当の意味で自由になることができるのです。自由とは誰にも縛られないことではなく、自分自身の無意識に支配されなくなることなのです。そして、本当の自由とは好きなことだけをすることではなく、自分の反応を自分で選べることです。誰かに拒ばれても自分の価値まで否定しない。誰かに批判されても自分の真実を手放さない。誰かに理解されなくても自分自身との約束を裏切らないことです。
焦る必要はありません。焦りとはまだ足りないという幻から生まれる感情です。自然界に急いで咲く花は存在しません。冬には冬の意味があり、春には春の意味があります。魂にも同じ法則が流れています。答えの見えない日、努力が報われない時間、孤独だけが続くように感じる季節。その全てが目には見えない内面を静かに成熟に向かわせているのです。ユングは卑金属が黄金へ変容するという古代の物語を、ただの科学ではなく人間の心の変容として読み解きました。黄金への変容とは、心の深層にある無意識が意識に統合され、自己が完成に向かう精神的変容の比喩です。その過程には必ず暗闇があります。古いものが崩れ何も信じられなくなり、そして ようやく新しい自分が姿を表す。多くの人は暗闇だけを見て諦めてしまいますが、その暗闇こそが黄金への入り口なのです。よって、誰かより優れている必要はなく、昨日の自分より少しだけ誠実であればいい、少しだけ勇気を持てばいい、少しだけ自分を裏切らなければいい。その積み重ねがやがて人格となり運命となります。運命とは偶然ではなく、毎日繰り返した心の選択が未来という形になったものなのです。桜は松になろうとしませんし、海は山を妬みませんし、太陽は月と競争しません。自然は比較しないからこそ美しい。人間だけが比較によって自分自身を見失うのです。
あなたが自分自身の人生を生き始めると離れていく人もいるでしょう。あなたを都合よく使っていた人、あなたが我慢するのを当然だと思っていた人、あなたが小さく生きることで安心していた人。彼らはあなたの変化を歓迎しません。それは当然です。あなたが変わることで、彼らもまた自分自身と向き合わなければならなくなるからです。だから本当の成長は他者からの歓迎の中では始まりません。むしろ、誤解や孤独、沈黙の中で静かに深まっていくのです。しかし、その孤独は永遠ではありません。この道を歩き始めた人は、やがて同じように自分自身を探している人と出会います。その関係には支配がなく、依存も恐れもありません。あるのは互いの自由を尊重する静かな信頼だけです。それこそが成熟した愛なのです。
愛とは相手を所有することではなく、相手がその人自身であることを認めることです。そして、そのような愛は自分自身を愛することでしか育ちません。さらに、自分を愛するとは自分を甘やかすことではなく、自分に対して誠実であることです。間違えたらそれを認め、傷ついたら休み、恐れていても一歩進む。その積み重ねが自尊心という静かな土台を築いていきます。自尊心は賞賛や成功だけでは育ちません。それは、自分との約束を守り続けた日々の中で静かに育つのです。よって、他人の評価は風のようなものであり、吹く日もあればやむ日もあります。それに人生を預けてしまえば心はいつまでも揺れ続けますが、自分の中心に根を下ろした人は違います。嵐が来ても、立ち続ける木のように静かな強さを失わない。そして、その自由は決して劇的な音を立てて訪れるものではありません。夜明けが静かに空の色を変えていくように、魂もまた気付かれないほど穏やかに生まれ変わっていきます。
ある朝鏡の前に立ったあなたは、自分の顔が昨日と少しも変わっていないことに気付くでしょう。同じ目、同じ声、同じ名前。それでも何かが決定的に違っています。それは、もう自分を証明しようとはしていない、もう選ばれるために自分を削ろうとはしていない、もう愛される資格を得ようと戦ってはいない自分です。その時あなたは初めて理解するのです。価値とは手に入れるものではなく、思い出すものだったのだと。ユングが生涯をかけて伝えようとしたのは、人間は完成された存在になるために生きるのではなく、本来の自分へ回帰するために生きるということでした。人生は競争ではなく帰り道なのです。幼い頃に置き去りにした勇気、否定された感情、押し込められた創造性、誰にも見せられなかった涙、その全てを迎えに行く長い旅なのです。だからこそ、人生の終わりに人が後悔するのは失敗の数ではなく、もっと自分らしく生きればよかったという後悔ただ一つなのです。どれほど遠回りをしても、人にはいつでも帰れる場所があります。それは過去でも未来でもなく今この瞬間の意識です。
あなたが今日自分に正直であることを選ぶなら、その瞬間から人生の流れは変わり始めます。ユングは「無意識を意識化しなければそれは運命として現れる」と言いました。しかし、その言葉には続きがあるように感じます。無意識に光を当てた瞬間、運命は牢獄ではなく創造へと変わるのです。もちろん、これからも悲しみは訪れるでしょう。別れもあり失敗もあり喪失もある。人である限り、それを完全に避けることはできないことです。しかし、一つだけ決定的に変わることがあります。あなたがもうそれらに飲み込まれなくなるということです。悲しみは訪れても、あなた自身がそのものにはならない。恐れが語りかけても、恐れがあなたの人生の主人公にはならない。批判は聞こえても魂の価値を決めることはできない。その時初めて、人は外の世界ではなく自分の内側に住み始めます。そこには証明する必要のない静けさがあり、競争する必要のない静けさがあり、急ぐ必要のない静けさがあります。その静けさは弱さではありません。長い葛藤をくぐり抜けたものだけが持つ強さなのです。だからこそ、もう自分を責めなくていいのです。完璧になろうとしなくていい、誰かの人生を生きようとしなくていいのです。今日という一日を、自分に対して誠実に生きること。その一歩があなたの人生で最も大きな静かな革命になります。もしかすると、この文章を読み終えた後もあなたの周りは何一つ変わっていないかもしれません。同じ部屋、同じ仕事、同じ関係、同じ現実。しかし、もしあなたの内側でほんの少しだけでも、もう自分を裏切るのは終わりにしようという静かな決意が生まれたのなら、この時間には確かな意味があったのです。人生は、他人に理解されることで完成するのではありません。自分自身を理解することで完成へ向かいます。その道は時に孤独で険しいですが、その道だけがあなたを本当の平和へ連れていくのです。そして、ある日振り返った時あなたは気付くでしょう。人生を変えたのは大きな奇跡でも誰かからの賞賛でもなかったと。静かな一日、自分自身を選んだその決断だったのだと。自分の価値を思い出したあなたはもう誰かに選ばれるのを待ちません。ただ静かに自分の人生を選ぶのです。
以上、全5回にわたって回避型の人やナルシスト、そして、自分自身とどう向き合っていくべきなのかについてお話してきました。今回色々と紹介をしていく中で、学習塾の先生である私がなぜこのようなことを全力で書くのか率直な疑問をいただきました。ここで全てをお話するには、文章があまりにも長くなってしまいました。よって、全ては割愛させていただきますが、少しだけ紹介させていただきます。それは、「勉強だけでは人間は育たない」ということです。勉強は生きていくための道具にはなりますが、それを使う側になることはできません。だからこそ、知識を使う側である子どもをいかに強く柔軟に育てていくかが最近の私のテーマでした。なぜなら、難関大学や進学校に多数の合格者を出しても、その生徒の人生が必ず成功するわけではないからです。よって、成功する人とそうでない人との違いを分析する中で、生徒の自分自身との向き合い方の違いに気付きました。その過程で心理学やストア哲学と出会い、そして、人の愛着に興味を持ったのが始まりです。「人生の出来事に無駄なことは一つもない。」この言葉は、私のこれまでの人生で気付いた大きな財産です。よって、今回の私の学びや発信も、自分が子どもと関わっていく中できっと役立つタイミングが来ると信じています。私自身これからも、勉強を教えるだけの塾講師ではなく、多角的な視点で子どもの成長を促せる塾講師に成長していきたいと考えています。勉強を教えることができる塾講師は全国に沢山いますが、社会に出てからも活躍し続ける人財を育てることができる塾講師は本当に少ないはずです。自分自身も子どもとの関りの中で成長し、そのような人になっていけるようにこれからも成長していきたいと考えています。9月からは、中学入試、高校入試、大学入試といった本来私が専門としている事柄についてコラムをアップしていく予定です。これからもぜひご覧ください。

