あなたが追いかけるのをやめた時、回避型の人は何を感じるのか

前回は回避型の人が友人関係を提案する理由とその対処法についてお話しました。早速、それについての感想や温かいメッセージをいただきとても感謝しています。今回は、あなたがついに回避型の人との関係に疲れ果て、追いかけることを諦め沈黙した時に、回避型の人たちがどのような心理状態に行き着くのかを説明します。当然、全ての回避型に共通することではありませんが、とても興味深いお話になっているはずです。

あなたがノーコンタクト、つまり、一切の連絡を絶つという行動に出た時全く予想していないことが起こります。それはあなたが思っていることに反するものであり、彼ら自身でさえも完全には理解できない現象です。なぜなら、あなたが回避型の人に対して完全な一人の空間、感情的なプレッシャーのなさ、親密さの要求が一切ない状態を与えた時、全ての回避型がすぐに違う世界に向かって歩き出すわけではないからです。正直初期の段階では、ほとんどの回避型はようやくプレッシャーから解放されたと安堵します。しかし彼らのうち約半数は、簡単に次に進むわけでもなく、まるで何事もなかったかのように振る舞うわけでもありません。残りの半数は新たな関係に飛び込み(リバウンド関係)、あなたの喪失を感じないようにする場合もあります。ただし、その新たな関係でもあなたと同じように親密さが増すことで75%の確率で関係が破綻するといわれています。割合に関しては、論文で証明されているわけではなく、海外の専門家が大勢の回避型の人にアンケートを取った結果になります。よって、あくまでも参考数値にしてください。ただし、どちらにしてもとても多くの回避型が感じるものは全く別の感情です。そして、これはあなたが姿を消した時に彼らの心の中で起こることのほんの始まりにしか過ぎません。

回避型の人々について少しおさらいしましょう。彼らの人格は、全て心の距離をコントロールすることを中心に作られています。いつ近づくかを決めるのは彼らです。いつ離れるかを決めるのも彼らです。親密さのペースを握り、どこまで自分の弱さを見せるかの境界線を引きます。自分のことをいつ、どれくらい相手に明かすかを正確にコントロールしているのです。それは、彼らが何年もかけて完璧に磨き上げてきた非常に複雑なシステムです。彼らは、あなたを引きつけながらも近づきすぎないようにする方法を正確に知っています。あなたが離れていかない程度の関心を向けつつ、自分自身が生き苦しくならないようにするにはどうすればいいか、本当に身を委ねることなく親密であるかのような錯覚を作り出すにはどうすればいいか。彼らは感情の曖昧さを操る達人なのです。あなたに矛盾したサインを送り、常に心を揺さぶり続けます。ある日はあなたを特別な存在のように感じさせ、次の日には遠ざけます。彼らの本当の姿を少しだけ見せてくれますが、それはあなたをつなぎ止めておくのに十分なだけであり、彼ら自身が完全に無防備だと感じるほどではありません。

このシステムはあなたがノーコンタクトを実行するまでは完璧に機能します。しかし、突然心の距離をコントロールする主導権が彼らからあなたへと移ります。そのコントロールを失うことは彼らが予想もしなかったような衝撃を与えます。長い間経験したことのないことですが、彼らはあなたといつ再び繋がるかを自分で決めることができなくなります。自分の感情的な要求に応じて距離を調整することができません。自分が安心している時に近づき、脅威を感じた時に離れるということができないのです。あなたがまだ自分を待ってくれていると安心するための何気ないメッセージを送ることもできません。あなたがまだ自分を気にかけているか測るための、偶然を装った出会いを作り出すこともできません。選択肢を残しておくための最小限の接触という彼らのいつものテクニックが使えないのです。彼らは今感情的な距離を置かれる側に立つという、これまで滅多に感じたことのない無力感を経験しています。そして、ここにはある意味で残酷なほどのシンプルさと皮肉があります。

何年もの間、彼らは他の人たちにまさにこの感情を味合わせてきたのです。彼らは距離をコントロールし、条件を決め、他の人たちを待たせ、絶望させ、もっと繋がりたいと願わせてきました。彼らはあなたを感情的な不確実性の中にとどめておく達人だったのです。認めたくはないでしょうが、彼らはいつでもあなたを手に入れることができ、一人の空間が必要な時には、あなたを遠ざけることができるというその静かな権力を楽しんでいました。常に逃げ道があり、決して完全にはコミットせず、傷つかないようにリスクマネジメントを好んでいたのです。今彼らは、その方程式の反対側にいます。その感覚は彼らにとって完全に未知のものです。結果をコントロールできないという不安にどう対処すればいいのか分かりません。あなたが戻ってくるかどうか分からないという、不確実性にどう向き合えばいいのか分かりません。再び繋がりたいのに、自分の思い通りにはできないという無力感をどう処理すればいいのか分からないのです。関係性において他の誰かが全ての力を持っている時、それがどんな風に感じるかを経験するのは彼らにとって初めてのことであり、その経験は彼らが予想もしなかった形で心を揺さぶります。しかし、彼らが感じているのは単なるコントロールの喪失ではありません。それよりもはるかに深い何かであり、自分自身と向き合うことを強いるものです。ここからが本当に興味深いところです。

真実を言えば、回避型の人は表面的な自立心や感情的な冷たさ、一人でも平気だという態度の裏には見捨てられることへの原始的な恐怖が隠されています。その恐怖があまりにも強烈なため、見捨てられるリスクを犯かすくらいなら先に自分から相手を見捨てる方を無意識に選ぶのです。この恐怖は彼らの幼少期に生まれました。人生において重要な人々が感情的に予測不可能であったこと。愛には条件が伴うこと。そして親密さが突然の拒絶に変わる可能性があることを学んだ時に、彼らは生き残るための戦略を作り上げました。私が距離を保てば、あなたは私を見捨てることはできない。私が近づきすぎなければ、あなたは私を傷つけることはできない。私があなたに完全に依存しなければ、あなたは私を見捨てることはできない。この戦略は何年もの間彼らを守ってきました。心が打ち砕かれるリスクを負うことなく、関係を築くことを可能にしてきました。愛が常に危険だと感じられる世界において、彼らに安全の錯覚を与えてきたのです。

しかし、ノーコンタクトはこの戦略を決定的に打ち砕きます。なぜならあなたが完全に姿を消し、彼らが安心した時に近づく可能性がなくなり、繋がりの流れをコントロールできなくなった時、彼らは一生かけて避けてきた恐怖と真正面から向き合うことになるからです。それは自分にとって大切な人はいつも去っていくという恐怖です。そして、あなたが決して予想しないことが起こります。その静寂の中で、彼らはあなたを失うことが本当に意味するものを感じ始めます。彼らが意図的に作り出すコントロールされた距離ではなく、いつでも元に戻せる一時的な別れでもありません。それは本当の喪失、完全な不在。あなたがかつてそこにいたという空気です。長い間経験したことのないことですが、彼らはそれに対して何もすることができません。あなたは本当にいなくなったのです。その事実は彼らが準備していなかったほどの衝撃を与えます。全てをコントロールしようとしても、結局のところ大切な人は去っていくという彼らの最も深い恐怖の確信を突きつけます。しかし、これは彼らが経験することの第一段階に過ぎません。

ノーコンタクトが長引くにつれて、彼らの心理にはさらに深い何かが起こります。数週間あるいは数か月、時には数年間の沈黙の後、奇妙なことが起こり始めます。回避型の人たちは何年もの間、自ら避けてきたものを経験し始めます。それは逃げ場のない純粋な無防備さです。まるで彼らの心理的な防壁や感情を守るための戦略が、突然全て無用の長物になったかのようです。彼らはもう存在しないものに対して、合理化することも過小評価することも感情的な距離を作ることもできません。それは彼らに不合理な真実を突きつけます。彼らは誰かを必要としており、その誰かとはあなただったのです。あなたの不在を、一人の時間が必要だと言い訳することはもうできません。彼らは本当にあなたを失ったことに気付き、その中で彼らの感情的な防衛システムの中の何かが壊れます。なぜなら、そこには立ち向かうべきものが何もないからです。ただ空虚と不在があるだけです。痛みは外から来るのではなく内側から来るのです。それは、自分を守るための方法が皮肉にも、彼らが最も恐れていた一人ぼっちに自分を導いてしまったことを認める痛みです。

彼らはあなたとの思い出をこれまでとは違う形で思い出し始めます。自分の自立を脅かすものではなく、本当は自分が認めていた以上に大切にしていた真実の繋がりとして思い出すのです。あなたが彼らの沈黙をどう理解してくれたか、彼らが距離を置いた時にどう対応してくれたかを思い出します。あなたがどれほど踏み込みすぎることなくそばにいてくれたか、無防備で丸裸にされたと感じさせることなく彼らのありのままを見てくれたかを思い出します。あなたが決して彼らを変えようとしたり、もっと感情を表現するよう強制したりしなかったことを思い出します。彼らの空間を尊重しながらも、必要な時にはいつもそこにいると伝えてくれたことを思い出します。彼らは、具体的なことを恋しく思い始めます。あなたの笑い声、彼らの気分を察するあなたの能力、意図せずとも彼らを落ち着かせてくれたこと、あなたと一緒にいた時の安心感。その安心感は、持っていた時には決して認めようとしなかったものです。そして、彼らを完全に混乱させる瞬間がやってきます。彼らはあなたが彼らの本当の姿を知っていた数少ない人間の一人だったことに気付きます。世界に見せている完璧にコントロールされたバージョンではなく本当の彼らです。

あなたは彼らの恐怖、彼らの行動パターン、そして彼らの複雑な愛し方を知っていました。彼らの矛盾や不安、親密さを求める気持ちとそれを恐れる気持ちとの間での葛藤を知りながら、それでもあなたはしばらくの間とどまりました。彼らが愛しにくい時でも、説明もなく離れていった時でも、何もないところに問題を作り出した時でもあなたはとどまりました。彼らの矛盾したサインがあなたを混乱させた時や彼らが感情的に引きこもってあなたを傷つけた時でも、彼らが関係にコミットできないことがあなたを苛立たせた時でもあなたはとどまりました。あなたが疲れ果ててとうとう去ることを決めるその時までは。今、絶対的な静寂の中で彼らは自分自身を恐れさせる一つの問いに直面します。問題だったのは自分だったのではないか。自分が持っていた、唯一の真実の繋がりを壊してしまったのは自分だったのではないか。これこそが彼らが一生かけて避けてきた無防備さです。

見捨てられることへの恐怖だけでなく、見捨てられる原因を作ったのは自分自身かもしれないという可能性。自分を守るための方法が、まさに自分の一番大切にしているものを失わせている可能性です。これは、自分のパターンにおける自分自身の責任との残酷な対面です。そこにはコントロールできるものも操作できるものも何もないため逃げることはできません。自分を守ろうとする防衛規制が、守ろうとしていたものを破壊してしまったかもしれないという現実があるだけです。その気付きは、外からのどんな拒絶よりも苦痛を伴います。なぜなら、その喪失に加担したのは自分自身だったという理解が伴うからです。

彼らは自分が愛し、そして遠ざけてしまった人たちがどう感じていたかを理解し始めます。近づいたり離れたりし、希望を与えては距離を作り、相手が関係のどこにいるのか不安にさせた自分のパターンが引き起こした痛みを理解し始めます。今自分が感じているこの痛み、この不確実性、どうなるか分からない不安、何もできない無力感こそがまさに自分が何年にもわたって他の人たちに感じさせていたものだと気付くのです。その結果、過去の人間関係を相手の視点から見ることができるようになるのです。そして、見えてきたものは必ずしも彼らが好むものではありません。誰かが明確さを求めたのに自分が曖昧さで答えた全ての時間、誰かが感情的な必要性を表現したのに自分が離れていった全ての時間、相手が最も親密さを必要としていたまさにその時に、自分が距離を作った全ての時間を思い出します。そして今彼らは、そのようなパターンの反対側にいることがどのような感じかを身を持って理解しています。

彼らが完全に別人に生まれ変わるわけではありません。愛着のパターンは一晩で変わるものではありませんし、幼少期の傷が一つの経験で癒えるわけでもありません。しかし、彼らは以前は持っていなかったものを発達させます。それは自分の防衛本能の反対側にいる人がどう感じるかについての本当の共感です。そして、ノーコンタクト後の回避型の人についてほとんどの人が理解していない真実がこれです。彼らはあなたを追いかけませんが、それはあなたのことを考えていないという意味ではありません。彼らは再び繋がろうとはしませんが、それはあなたとの間にあったものを価値あるものだと思っていないという意味ではありません。彼らの沈黙は無関心ではなく、感情の処理であり経緯なのです。彼らが自分のパターンの結果から逃げることなく、それを本当に感じるのは初めてのことです。人生で初めて彼らは、自分の感情的な決定の重みを完全に感じています。その影響を過小評価することも、痛みを合理化することも、それを実際よりも軽いものにする方法を見つけることもできません。彼らは愛する人を手放すことで、深く愛するということが何を意味するのかを学んでいます

コントロールせずに愛する能力、所有せずに価値を認める能力、追いかけずに恋しく思う能力、それはノーコンタクトなしでは決して学ぶことのできなかった教訓です。彼らの中には、人生で初めて本当の愛とは自分が必要な時に誰かを利用可能な状態に保っておくことではないと理解する人がいます。本当の愛とは、絶えず相手を自分の人生にとどめることができなくても相手の幸せを尊重することなのです。これは彼らにとって全く新しい愛し方です。コントロールを必要とせず、相手が常にそこにいることを要求せず、自分の感情的な必要性を相手の幸せの上に置かない愛し方です。それは逆説的ですが、彼らがこれまでに経験したどんなものよりも成熟し、より現実的な愛し方なのです。

しかし、このプロセスにおいて最後に起こることが一つあります。それは彼らが本当に変わるのか、それとも古いパターンに戻るのかを決定づけるものです。ノーコンタクトは彼らが一生かけて避けてきた経験、つまり状況を変えることも結果を操作することも、コントロールを取り戻すこともできないまま、強烈な感情を感じるという経験を強います。この経験には二つの道が用意されています。一部の回避型の人は自分のパターンに気付き、自分が引き起こす痛みに対してより共感的になり、本当の親密さを築く能力を高めてノーコンタクトから抜け出します。彼らは本当の喪失を感じ、感情的な距離をコントロールすることよりも、真の繋がりの無防備さを選ぶことを決意します。この回避型の人たちはある根本的なことを理解します。自分がそれほどまでに怯えていたコントロールは実は幻想であり、距離を保つ能力は痛みから自分を守ってはおらず、ただそれを先延ばしにしていただけだったということです。そして、ノーコンタクトによってついに痛みが訪れた時、それは後悔を伴うためはるかに強烈なものになったのだと。彼らは親密さを避けて確実に喪失を招くよりも、親密さへの恐怖を感じながらもあえて近づくことを選ぶ方が良いと学びます。自分を守るために何年もかけて壁を築いてきたのに、いざ経験してみるとそれは破壊的であるどころか、自分を変用させるものになるのだと気付くのです。本当の愛とは、リスクがないことではなく意識的にリスクを受け入れることである。大切な誰かを失わないための唯一の方法は、例え恐ろしくても親密さを選ぶことだと理解します。

しかし、別の回避型の人たちは、二度と誰かに自分の感情を支配させるような真似はしないとこれまで以上に固く決意してノーコンタクトから抜け出します。彼らはノーコンタクトの痛みを愛についての教訓としてではなく、愛は痛すぎるという確認として解釈します。問題は自分が繋がれなかったことではなく、そもそも近づきすぎたことだと自分に納得させます。そのような無防備さを感じるほどもう二度と誰かを大切に思わないと自分に誓います。彼らはさらに高度な防衛線を張り、誰を心の中に入れるかについてより慎重になり、将来親密になろうとする際にはさらにコントロールを強めます。この回避型の人たちは、ノーコンタクトの痛みを元の戦略は正しかったが、厳しさが足りなかっただけだという証拠として受け取ります。そして、より高い壁・より強い防衛、そしてより多くの感情的な距離が必要だと考えます。ここに違いがあります。

成長する人は経験を統合し、後戻りする人は経験に抵抗します。成長する人は、次はどうすればもっとうまく愛せるだろうかと自問します。後戻りする人は、二度とこんなことはさせないと自分に言い聞かせます。成長する人は、ノーコンタクトを自分の機能不全なパターンへの代償と見なします。後戻りする人は、それを本当の親密さは危険すぎるという証拠とみなします。成長する人は、痛みを使って感情的な容量を広げます。後戻りする人は、痛みを利用して感情的な距離を広げることを正当化します。しかし、ノーコンタクトの後二つのグループには共通していることが一つあります。彼らは決してあなたのことを忘れません。それは必ずしも、あなたが彼らの人生最愛の人だったからとか、彼らが次に進めないからではありません。彼らがあなたを覚えているのは、あなたが彼らに誰かを失うことが本当に意味するものを感じさせた人だからです。

あなたは彼らのコントロールのメカニズムが常に機能するわけではないと教えた人でした。あなたは防ぐこともコントロールすることも、元に戻すこともできない喪失があることを彼らに示した人でした。あなたは、愛を権力ゲームのように扱うことには現実の代償が伴うことを証明した人でした。その教訓は痛みを伴うものでしたが、彼らはそれを傷としてではなく、知恵として永遠に持ち続けます。誰かを本当に愛するとはどういうことか、大切な誰かを失うとはどういう感じか。関係をコントロールすることと、関係に参加することの違いについての知恵です。ノーコンタクトは彼らを打ちのすことはありませんが、彼らを変え直面させ自発的には決して選ばなかっただろう方法で彼らを成長させます。そしておそらくですが、その経験が彼らに次の人をより現実的で、より今を生き、より無防備な形で愛する準備をさせるのです。それは、取り戻すことのできない誰かを失うという経験なしには不可能だった愛し方です。なぜなら、結局のところノーコンタクトは自己啓発本も、セラピストも論理的な説明も教えることのできなかったことを彼らに教えるからです。本当の愛には本当のリスクが必要であり、本当のリスクとは愛する人を失うかもしれないと受け入れた上で、それでもその人を愛することを選ぶという意味だということです。これは、彼らが学べる最も残酷でそして最も美しい教訓です。恐怖から何かを失わないための唯一の方法は愛のために失うリスクを犯すことであると。そして、この理解が最終的に訪れた時、彼らは愛を避ける人から愛の本当の価値を理解する人へと生まれ変わるのです。

以上、冒頭でも述べた通り、回避型の人はあなたとのノーコンタクト後にほとんどの人が安堵を感じます。そしてその後、心理学用語の非活性化戦略を用います。新たな趣味や新たな人間関係、新たな仕事を通して、考える時間が無くなるほど夢中でスケジュールを詰め込むのもそのためです。それを見た人が、自分との別れを全く気にしていないように感じ、さらに心を痛めるという構図です。しかし、数々の心理学者が指摘するように、抑圧された感情は決して消えることはありません。抑圧する力が強ければ強いほど、その感情が漏れ出てきた時の衝撃はとても大きなものになります。回避型の人は、その空白の時間が数か月から数年とあまりにも長いのです。他者とのリバウンド関係に飛び込んだ場合でも、それは変わらない場合がほとんどです。実は新たなリバウンド関係を築いた人ほど、回避型の人の精神的な回復が早いという結果もあります。しかし、その後結局同じような理由で破綻することが多いという結果も出ています。そして、逆にあなたと新たなパートナーを比べることで、よりあなたのことを理想化し忘れられないようになります。ただし、これはあくまでも本物の親密な関係を築けた場合のみです。実は回避型の人と相手が恐れるほど親密な関係を築けること自体がとても稀なことなのです。すぐにリバウンド関係に飛び込むのも、あなたの不在を感じなくて済むための非活性化戦略の一部なのです。関係が本物になる前であれば、彼らの戦略はリセットできるのが理由です。どちらにしても今苦しむか、それとも後で苦しむか。その苦しさは、あなたも回避型の人も変わりはありません。だからこそお互いに成長し、この試練をこれからのお互いの人生に役立てていってほしいと思います。そして、回避型の人が自分を見つめ直し新たな本物の関係を築けるようになった時、あなたとの関係は彼らにとってとても意味深いものになります。だからこそ、沢山の愛情を持って手放してあげてください。それがあなた自身幸せを手に入れることができる唯一の方法なのです。次回は、回避型とナルシスト(自己愛型)との違いについてご紹介します。