愛されたいのに逃げてしまう―回避型の人が恋愛を壊してしまう理由

長らく塾業界にいると、様々な家庭環境で育ってきた子どもたちと接する機会があります。人間の人格形成は、幼少期の家庭環境に大きく依存していることは様々な研究で分かっていることです。しかし、それによって3つの愛着パターンが形成されることはあまり多く知られていません。それは「安定型」「不安型」「回避型」の3つです。心理学の世界ではそこからさらに細かく分類されますが、その中でも一番人間関係で苦労する愛着パターンだと言われる「回避型」についてご紹介します。今回は、回避型の人たちがどのようにして恋愛関係を壊してしまうのかを例に、彼らの内面部分を掘り下げていきたいと思います。ちなみに、私は心理学の専門家ではありませんので、私が自ら勉強して得た知識になりますので間違いがあった場合はご了承ください。

回避傾向がある人がどのようにして自らの恋愛を壊してしまうのか。ずっと求めていた愛をやっと手に入れたのに、彼らはゆっくりと静かに自分の手でそれを壊してしまうのです。回避型の人は朝起きて突然、この関係を台無しにしてやると決意するわけではありません。実際彼らは心からの希望を抱いて関係を築き始めます。出会ったばかりの頃は胸の高鳴りや未来への可能性を感じ、自分の弱さをさらけ出すことさえあります。しかし、愛が本物になり始めた瞬間、つまり、誰かが近づきすぎたり自分の内面を見られすぎたり長く一緒にいすぎたりすると、彼らの神経は危険を知らせる警報を鳴らします。その後に起こることは決して派手でも分かりやすいものではありません。それはとても静かな変化です。それが自己破壊なのです。回避型の人は無意識のうちに感情を引き離すことで自らの愛を壊していきます。メッセージの返信が依然より遅くなったり、日常の些細な出来事を共有しなくなったりします。目の前にしっかりと存在していたはずなのに、まるで部屋の中の幽霊のように気配を消してしまうのです。彼らを愛している人にとっては、その行動は拒絶されたように感じられます。しかし、回避型の人にとってはそれが生き残るための術なのです。相手に関心がないから距離を置くのではありません。相手を大切に思いすぎることが怖くてたまらないから距離を置くのです。

回避型の人の冷静な態度の裏には、過去の痛みによって配線された心があります。その痛みは、誰かと親しくなることは危険なのだと彼らに教え込みました。親密さは傷つくことにつながり、弱さを見せることは自分をコントロールできなくなることなのだと。だからこそ、例えその愛が安全だと感じられても彼らの体はそれを信じられません。防衛本能が距離を保ちなさい、1人生きなさい、誰にも頼ってはいけません、誰にも頼らせてもいけませんと働き始めるのです。そしてこれこそが、苦しい矛盾を生み出します。回避型の人は人との繋がりを求めているのに、過去のトラウマがそこから逃げろと命じるのです。愛を渇望しているのに、感情をのみ込まれることへの恐怖から心の壁を築いてしまいます。

彼らは距離を置くことを正当化するために自分に言い訳をします。関係が進むのが早すぎる。少し一人の時間が必要なだけだ。もしかしたら、この人は運命の人ではないのかもしれない。しかし、心の奥底で彼らが本当に感じているのは、恐ろしいほどの重圧なのです。それは、本当の自分を知られることへの重圧です。誰かが近づいてきて本当の自分や不安、不完全な部分、心の傷までも見られそうになった時、自己破壊が始まります。

回避型の人が愛を壊してしまう最も一般的な方法の一つが「過度な自立」です。一人で大丈夫だ、助けはいらない、感情的な要求がない方がうまくやれると主張し始めます。しかし彼らが実際にしていることは、自分の内面の世界がかき乱されることから自分の心を守っているだけなのです。本当の愛には互いに心を通わせ、感情を調整し合うことが必要です。心を開いて誰かを迎い入れ、慰めてもらい、支えてもらい、本当の自分を見てもらうことです。しかし、回避型の人はこれまでの人生で他人に頼ることは弱さであり、危険であり、がっかりさせるものだと学んできました。だからこそ、何でも一人でできるということを自分のアイデンティティにしてしまうのです。問題は、親密さというものは過度な自立ではなく、互いに頼り合うことによって育まれるということです。大丈夫ではないのに大丈夫だと言って殻に閉じこもるたびに、相手が決して埋めることができない距離を作ってしまいます。誰かを必要とすることを拒むことで、感情的な安心感を自ら壊してしまうのです。そして、パートナーが最終的に努力することを諦めた時、回避型の人はやはり誰もそばにいてくれない、誰も本当には理解してくれない、親密さとはいつも消え去ってしまうのだという自分の思い込みを静かに確信します。しかし、最初に消え去ろうとしたのは自分自身であることには気づきません。

回避型の人は「感情的なテスト」をすることでも愛を壊してしまいます。パートナーを突き放し、戻ってくるかどうかを試すのです。直前になって予定をキャンセルしたり数日間連絡を絶ったり、感情が高ぶっている時に相手を傷つけるようなことを言ったりします。それでパートナーが戻ってきて許し、安心させてくれれば一時的な安らぎを得ることができます。しかし、彼らが試しているのは愛ではありません。見捨てられるかどうかを試しているのです。回避型の人には自分の抱えている面倒な部分を見られたら、人は離れていくという深く解決されていない恐怖があります。よって、何度も何度も相手を試すのです。それは彼らが残酷だからではなく、自分の本来の姿に愛が耐えられると信じていないからです。そして皮肉なことに、こうしたテストが彼ら自身が恐れている不安定さを作り出してしまいます。なぜなら、愛は戦場では生き残れないからです。そばにいることを常に証明させられ続ければ、人はやがてそうしたいと思わなくなります。そして、回避型の人は再びやっぱり自分の考えは正しかった、愛なんて長続きしないんだということを自分の内面で確かめてしまうのです。しかし失敗しているのは愛ではありません。愛が育つ前にそれを台無しにしているその信念というシステムそのものなのです。

もう一つの愛の無意識の自己破壊パターンは「理想化とこき下ろし」です。関係のはじめ、回避型の人はよくパートナーを理想化します。相手のすべてが完璧で、魔法のように魅力的で刺激的に見えます。しかし親密さが深まるにつれて、回避型の人は相手の欠点を探し始めます。この人は求め過ぎているや思っていたほど魅力的な人ではなかった、もっと自立した人が自分には必要だなどのようにです。これはパートナーが変わってしまったということではなく、回避型の人が感情的な距離を作ろうとしているだけなのです。なぜなら、相手が自分には合わないと思い込むことができれば、相手と距離を置くことを正当化できるからです。しかし、心の底では相性が悪いのではなくただ恐れているだけなのです。近くに居続けることで、自分自身の弱さと向き合わされることへの恐怖、深くのめり込んでしまえば傷つくかもしれないという恐怖です。だから無意識のうちに、深い心の触れ合いを避けようとするのです。

回避型の人は、「感情の深い結びつき」という理由でも愛を壊します。彼らは、面倒なことが嫌いで無関心であるように振る舞いますが、実際には感情的な責任から逃げているのです。将来について話し合ったり、相手の欲求に向き合ったり、誤解を解いたりすることを嫌がります。衝突が起きると殻に閉じこもります。パートナーが傷ついたと伝えてきても心を閉ざしてしまいます。このように、感情の修復を避ける行動が、ゆっくり絆を壊していくのです。なぜなら、人間関係に必要なのは完璧さではなく、問題が起きた時にお互いに関係を修復していくことだからです。問題に向き合わずに無視し続けるとパートナーは孤独を感じ始めます。一方で回避型の人は、ますます切り離され、誤解され、プレッシャーを与えられていると感じるようになります。こうしたこと全てが、彼らを愛の届かない心の中の洞窟へとさらに深く追いやってしまうのです。そして、最終的に劇的な喧嘩からではなく、感情の枯渇によって関係が壊れた時、回避型の人は自分に言い聞かせます。ほらね、うまくいくわけがないと思っていたんだと。しかし、彼らはその関係に息を吹き返す隙を一度も与えません。自分が恐怖を感じる限界を超えて親密さが深まることを決して許さないのです。

最も悲劇的な自己破壊は、愛することが安全になるまで待ち続け、気付いた時には手遅れになっていることでしょう。回避型の人は、多くの場合完全に安心できるまで心を開くのをためらいます。しかし、人間関係における安心感は保証を待つことではなく、まず自分から心を開くことによって生まれるものです。愛にはただそこにいるだけではなく、自ら参加することが求められます。しかし、心を開き本当の気持ちを伝え、優しさを見せてくれた人を失ってしまったと認める準備ができた頃には、かつて待っていてくれたその人は、心も体もすでに完全に離れてしまっているかもしれません。そして、その時初めて回避型の人は、これまでずっと避けてきた深い悲しみを感じるのです。パートナーを失ったことだけでなく、心から愛される機会を失ったという悲しみ。誰かが本当の自分を見てもなお、そばにいて受け入れようとしてくれたという気付き。自分の声よりも恐怖の声が大きかったためにその思いに応えられなかったという胸の張り裂けるような痛みです。

しかし、希望はあります。これらの自己破壊のパターンは生まれつき人間がもっているものではなく後から学習されたものであり、手放すこともできるということです。

回避型の人が孤独になる運命になるわけではありません。愛することができないわけではありません。彼らは深く愛する能力は持っていますが、それには気付きと癒しと勇気が必要です。誰かと親しくなることの居心地の悪さに留まり、愛は自分を滅ぼすという内なる声に立ち向かう勇気です。心を閉ざす代わりに口を開き、逃げ出す代わりに留まる勇気。傷があるから愛されないのではなく、その傷も含めて自分を愛してくれる人がいるのだと信じる勇気です。回避傾向がある人が自らの愛を壊してしまうのは愛を求めていないからではなく、恐れずに愛を受け取る方法を誰からも教わらなかったからです。しかし、もし彼らが癒しを選び、プライドよりも真実を、コントロールすることよりも自分の弱さを見せることを選べば、結末を書き換えることができます。完璧さによってではなく、ただそこに存在し留まることによって。そして、ついに愛はもう逃げ出す必要のないものにすることによって。

いかがでしたでしょうか?これは恋愛関係だけでなく、友人関係や、家族関係、職場関係でも共通して起きることです。こういった傾向がある人が身近にいる場合、周りの人は大きな混乱を抱えてしまう危険性があります。しかし、回避型の人の傾向を知ることで、自分の行動や感情が原因で関係がうまくいかないわけではないことに気付くことができます。また、もしその相手が本当に大切な人ならば、間違った対応をしてしまうことで永遠に関係がこじれてしまうことを防ぐ助けになってくれるはずです。さらに、今この瞬間に回避型の傾向があることで人間関係に苦しんでいる方に、自分のことを知るきっかけになっていただければと思っています。

次回のコラムでは、回避型の人に対して、どのように接していけばよいのかを紹介させていただきます。次回のコラムまでぜひ楽しみにお待ちください!

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