人間関係を円滑にすすめるために
先日は精神の安定を図るための方法についてご紹介しました。とても好評だったことと、人間関係で悩む若者が多いこともあり、今回はどうすれば円滑な人間関係を構築できるか具体例を紹介しながらお話していきます。今回のテーマは我々大人の世界でも役立つ話になっているはずです。キーワードは「もう、わかってもらおうとするな」です。
私たちはよく人間関係を円滑にするために他人とコミュニケーションを取ろうとします。しかし、現実は話を聞く気がない人に限って、我々は一生懸命自分のことを説明しようとしてしまいます。それは、相手が耳をふさいでいるからじゃありません。ただ、聞こえていないんです。なぜなら例えると、その人はあなたとは全く別の「映画」を見ているからです。あなたは映画館の外に立って、中で全く違うストーリーの映画を見ている人に必死にあらすじを伝えようとしています。これはとても疲れますよね?自分の正しさを証明したり、誤解を解こうとしたり、分かってもらおうとしたり。その絶え間ない努力は本当に消耗します。そういった人たちに自分を説明しようとするのは、白黒の世界しか見ようとしない人に色の鮮やかさを言葉で教えようとするものです。
私たちは学校や社会で、「話し合えば分かり合える」と教わってきました。正しい言葉を選び、完璧な説明ができればきっと相手は理解してくれるはずだと。しかし、真実はもっと残酷でもっと興味深いものです。世の中には自分の頭の中にある「思い込み」に囚われすぎている人がいます。自分なりの現実の解釈に催眠術のようにかかっていて、あなたの言葉なんて、ただの雑音にしか聞こえていないんです。あなたが必死になればなるほどエネルギーを吸い取られていくだけです。それはまるで、強風が吹き荒れるトンネルに向かって叫んでいるようなもの。声は出ても、相手には絶対に届きません。あなたはこれまでの人生で、決して納得する気のない人を納得させるためにどれだけの時間を費やしてきましたか?何度も言いなおし、言葉を変え、クタクタになるまで説明して・・・今度こそは分かってくれるはずだと期待して。その結果はいかがでしたか?言葉を捻じ曲げられ相手の都合のいいように解釈され、結局あなたが「悪者」にされたんじゃないですか?どんなに丁寧に説明しても無駄だったはずです。それは事故でも、コミュニケーションの失敗でもありません。これは全く異なる「意識の世界」どうしの衝突なんです。誤解していただきたくないのが、意見が違うだけの健全な話し合いのことを言っているのではありません。あなたのことを理解したいと思っているけれど、見方が違うだけの人ならいいんです。私が話しているのはもっと厄介なケースです。自分の作った「思い込み」という名の牢獄に閉じこもり、その幻があまりにも強固すぎてどんな言葉も通じない人たちのことです。なぜ言葉が通じないのか?それは彼らが「真実」に興味がないからです。彼らに興味があるのは「自分が正しい」ということだけです。例え現実とかけ離れていようとも、彼らは自分の信じる世界を守りたいだけなんです。この事実に気づいた瞬間すべてが変わります。相手の反応を「個人的な攻撃」として受けとらなくなるからです。自分の説明が下手だったのかな・・・なんて悩む必要はありません。問題はあなたの言葉ではなかったのですから。問題はあなたが話している相手がすでにあなたのことを「こういう人間だ」、「こういう意味で言っているんだ」と決めつけていることにあるんです。一度決めつけた相手に対して、いくら説明を重ねても無駄です。それは夢を見ている人を理屈で説得しようとするようなもの。夢には夢のルールがあって論理なんて通用しませんから。
では、幻の中にいる人に説明しようとすると、具体的に何が起きるのか。まず、あなたはエネルギーを浪費します。それもただの疲れではありません。勝ち目のない戦いに挑んでしまったような、魂レベルの深い疲労感です。自分をさらけ出して理解を求めたのに、返ってくるのは混乱、非難、そしてさらなる尋問だけ。このループは永遠に終わりません。なぜなら、相手は理解することなんて求めていないからです。相手は自分のストーリーを完成させたいだけ。そして、あなたは、そのストーリーの中の「登場人物」の一人にしかすぎないんです。しかも、すでに脚本は書かれているのです。昔の賢人たちはこのことをよく知っていました。「誰もが真実を聞く準備ができているわけではない」と。人によっては、生きていくために「幻」が必要なこともあるのです。その幻を取り上げられると彼らは崩れ落ちてしまう。だから、必死になってそれを守ろうとします。あなたの言葉を捻じ曲げ、あなたの人格を攻撃してくるでしょう。それでもまだ説明しようとするなら、実はあなた自身が相手の幻を維持する手助けをしてしまっていることになるのです。あなたが反応すればするほど、相手には「抵抗する理由」が生まれる。さらに意固地になる理由を与えてしまうのです。
こんな話があります。昔ある男が隣人に「空は青い」と一生懸命に説明をしていました。しかし、隣人は「いや、空は緑だ」と言い張ります。男は図鑑を見せ、写真を出し、科学的に説明し、他の人を連れてきて証言させました。「ほら、空は青いだろう?」それでも隣人は譲りません。「いいや、緑だ」と。ある日、疲れ果てた男は諦めました。説得をやめ、空の話をすることをやめました。すると、何が起きたと思いますか?隣人は激怒しました。なぜなら、言い争いや対立がなくなったことで隣人はある恐ろしい可能性と向き合わなくてはならなかったからです。「自分が間違っているかもしれない」という可能性と。これこそが、あなたが説明をやめた時に起きることです。相手は怒ります。話が大きくなります。「私を見捨てるのか」「冷たい人間だ」「気にかけてくれないのか」と責めてくるでしょう。しかし、ここで本質をお伝えします。その怒りは、あなたに向けられたものではありません。彼ら自身の問題なんです。あなたが沈黙することで、彼らは自分自身と向き合わざるを得なくなった。幻の中で生きている人にとって、自分自身を直視することほど不快なことはありません。だから彼らは、あなたに話し続けてほしいんです。説明し続けてほしい、自分たちのドラマに参加し続けてほしい。あなたが相手をしてくれている限り、彼らは変わらなくて済むからです。しかし、もうそんなゲームに付き合う必要はありません。一歩下がって、静かになればいいんです。訂正なんてしなくていい。彼らには彼らの現実をそのまま持たせておけばいい。これは「無関心」ではなく「知恵」です。「自分が戦うべき戦いではない」と理解することです。説明をやめると何かが変わります。あなたは自分のエネルギーを守れるようになります。あなたの心の平穏、明晰さ、自分らしさ。これらはとても貴重なものです。受けとる準備ができていない相手との会話に、この大切な宝物を与えるのはやめましょう。相手が悪い人だからではありません。あなたが差し出しているものの価値が、彼らには見えていないのです。価値が分からないから、彼らはそれを踏みつけ嘲笑し、あなたを攻撃する武器として使います。
最近、誰かと話してひどく疲れたことを思い出してみてください。誤解され、イライラしたあの会話です。その時、相手は本当にあなたの話を聞いていましたか?それとも、自分が話す順番を待っていただけでしたか?あなたの視点を理解しようとしていましたか?それとも、自分の意見を守ろうとしていただけでしたか?もし後者なら、あなたは初めから「聞こえない人」に向かって説明していたことになります。そこで使ったエネルギーは二度と戻ってきません。この世には、このようなやり取りをエネルギー源にしている人たちがいます。あなたを終わりのない説明地獄に引きずり込むことで、優越感を得る人たちです。説明すればするほど、相手に攻撃の材料を与えることになります。「あの時こう言ったじゃないか」と責められる。沈黙すれば「やましいことがあるからだ」と解釈される。我慢すれば「弱い」と思われ、優しくすれば「操作しようとしている」と思われる。何をどうしても、どんなに明確に話しても彼らは必ずあなたを誤解する方法を見つけ出します。なぜなら、あなたを理解するということは、彼らが変わらなければならないことを意味するからです。そして、変わることは彼らにとって恐怖でしかありません。
それではどうすればいいのか?そうです、やめるんです。説明するのをやめる、弁解するのをやめる、分からせようとするのをやめる。本当は彼らだって見えているんです。ただ、見えているものが気に入らないだけ。それは、あなたの問題ではありません。あなたの問題は、相手の受け取り方まで自分の責任だと思い込んでしまっていることです。相手の誤解を、自分の失敗だと思っていること。しかし、それは違います。誤解しているのは、相手の選択です。「沈黙」を受け入れた時、何が起きるかお話しましょう。第一にあなたは自分の力を取り戻します。説明をやめるということは、相手に承認を求めるということをやめるということです。「分かってもらわなくてもいい」「認められなくてもいい」と腹をくくること。ただ、そこに存在するだけでいい。これは信じられないほど強力です。自分の存在を弁明する必要がなくなった人は強い。自分の価値は、他人にどう見えるかで決まるものじゃないと知っている人は強いんです。
第二に、スペース(余白)が生まれます。真実が自然と浮かび上がってくるためのスペースです。あなたが口を挟まないことで、相手は自分自身の思考と向き合うことになります。あなたが喋り続けている間は、スペースが埋まってしまいます。しかし沈黙すれば、そこにもっと大きな力、つまり知性が入り込む隙間が生まれます。それは、あなたがどんな言葉を尽くすよりも効果的です。
第三に、見極める力がつきます。誰が本当にあなたを理解しようとしているのか、だれがただドラマを楽しみたいだけなのかが見えてきます。本当にあなたを大切に思っている人は、あなたの沈黙を優しく受け入れてくれます。そっとしておいてくれるし、あなたにはあなたの事情があるのだと信じてくれます。しかし、幻に囚われている人はパニックになります。説明を要求し、「秘密主義だ」「冷たい」と責め立てるでしょう。その反応こそが、「ああ、やっぱり説明しなくて正解だったんだ」という答え合わせになるんです。
ここで誤解しないでほしいのは、沈黙は「逃げ」ではないということです。大事な話し合いから逃げたり、本当に必要なコミュニケーションを拒否したりすることではありません。沈黙とは「見極め」です。言葉が役に立つ時と、事態を悪化させるだけの時を見極めることです。「この人にはまだ私の真実を受け取る準備ができていないけどそれでいいや」と認めることです。全員に分かってもらう必要はありません。価値が分からない人に、あなたの大切な宝石を渡さない賢さを持ってください。また、沈黙は「罰」でもありません。相手を無視して嫌な気分にさせるための武器ではないんです。これは単なる「境界線」です。「私はもう、この不毛な戦いには参加しませんよ」という意思表示です。終わりのない説明という戦いは、あなたを小さくしその場に縛り付けます。そして、相手のことも縛り付けます。あなたが言い返してくれる限り、彼らは自分の幻と向き合わなくて済むからです。「幻」というものは心地いいものです。慣れ親しんだ場所ですから・・・人は自分のアイデンティティをその幻の上に築き上げます。それを支えるために、複雑な理屈を組み立てる。そこにあなたが現れて、真実や明晰さ、異なる視点を持ち込むということは、彼らが何年もかけて築いてきた城を「壊せ」と言っているようなものです。ほとんどの人はそんなことはしません。全力で幻を守ろうとします。あなたと戦い、あなたを悪者にし、自分の世界を維持しようとするでしょう。それでいいんです、それは彼らの権利です。どんな現実の中に生きるかは彼らの自由です。しかし、あなたにも権利があります。相手の心を変えようとして、自分をすり減らすのをやめる権利が。どこにもたどり着かない会話から立ち去る権利が。自分のエネルギーと心の平和と正気を守る権利が。その権利を行使する方法こそが「沈黙」なんです。反応しないという、シンプルですが最強の行動です。
「愚か者と議論するな」という古い言葉があります。「はたから見ればどちらが愚か者か区別がつかないからだ」と。この言葉をもう一歩踏み込んでお伝えすると、「あなたのことを既に決めつけている人に、自分を説明してはいけない」ということです。どんな説明も彼らの心を変えることはできません。彼らはもう判決を下しているのです。彼らの脚本は書き上がっていて、あなたがいくら叫んでも書き直すことはできません。言葉は、聞いてくれる人のために取っておきましょう。エネルギーは、あなたを癒してくれる関係のために使いましょう。真実は、それを求めている人のために捧げましょう。長い説明なんてしなくても、あなたを理解してくれる人は必ずいます。演技をしたり、証明をしたり、正当化しなくても、あなたのことをちゃんと見てくれる人がいます。そういう人たちこそ、あなたの時間を費やす価値がある相手です。
それでは、説明を求め続けて攻撃し続ける幻に囚われた人たちはどうすればいいのか?怒りや恨みを持たずに手放してください。ただ、彼らの幻のままにさせてあげるんです。彼らが必要とするものを信じさせてあげればいい。もし彼らが目覚める時が来るとすれば、それはあなたが説得したからではありません。人生そのものが彼らに教えた時です。人生は、あなたよりもはるかに優れた教師ですから。よって、次に誰かがあなたに説明を求めてきた時、すでにあなたのことを決めつけ誤解している相手に対して、ふっと立ち止まって深呼吸をして自分に問いかけてみてください。「この説明は本当に役に立つだろうか?」それとも、「新たな誤解の材料を与えるだけだろうか?」と。もし後者なら、黙っていましょう。彼らの思い込みのままにさせておきましょう。空白を好きなように埋めさせてあげましょう。その解釈はあなたについてではなく、彼ら自身について語っているのですから。そして、その沈黙の中で、あなたは特別なものを見つけるはずです。それは、「あなた自身」です。理解してもらうために自分を曲げたりねじったりしない、本当のあなた。全員を喜ばせようとして疲れ果てていない本来のあなた。誰に理解されなくても存在し続けるあなた。自分の真実を知っているから、他人の承認なんて必要としないあなた。そのあなたは、どんな言葉による説明よりも、はるかに力強い存在です。幻に囚われた人に説明するのはもうやめましょう。それは相手を見捨てるからではありません。どうでもいいからでもありません。「まだ見る準備ができていない人もいるんだ」とようやく理解できたからです。彼らには彼らの盲目を、彼らには彼らの混乱を、彼らには彼らのバージョンを持たせてあげましょう。なぜなら、本当のあなたは全てを知り、全てを見渡し、ただそこに在るあなたは彼らの承認なんて必要ないんですから。
あなたの心の平和は、彼らの理解よりも価値があります。あなたのエネルギーは、彼らに受け入れてもらうことよりも貴重です。あなたの真実は彼らの意見よりも重要です。どうかそれを忘れないでください。もしまた、説明したい、弁解したい、正当化したいというあの衝動に駆られたら、ただ止まって、静かに自由になってください。沈黙とはコミュニケーションの欠如ではありません。それは「知恵」そのものです。語るべき時と、ただ物事をあるがままにさせておく時を知っている。それが本当の知恵だと考えています。
